中森明菜「少女A」のヒット曲に隠された秘話とは?

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中森明菜のデビューシングル「スローモーション」はヒットせず、次の曲で成功が求められた。売野雅勇を起用し、清純派からツッパリ路線への転換を図ることを決意。売野の回顧録によると、「少女A」のエロチックな方針は明菜のデビュー時のキャッチフレーズに触発された。初期バージョンではサビが貧弱でフックが印象に残らなかったが、島田雄三の提案により一部歌詞が変更され、結果的に「少女A」はヒット曲となった。明菜はこの曲で成長し、不良イメージの下で繊細さを表現するようになった秘密をまとめてみました。

引用元 Warner Music Japan Inc. https://youtu.be/aTTkrFIvcLg

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明菜プロデュース陣の大胆な戦略転換が「少女A」成功の鍵となった

中森明菜のデビューシングル「スローモーション」は、来生えつこ・たかお姉弟による作詞・作曲と豪華な布陣で作られましたが、オリコン最高30位というヒットには至りませんでした(来生姉弟はその後「セカンド・ラブ」でリベンジを果たしました)。

この曲は当時の人気番組『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』にも出演する機会を得られず、二曲目の成功が課題となりました。

一般的には、デビューシングルで新人アイドルのイメージを確立し、二曲目ではその発展形を追求することが多いですが、明菜のプロデュース陣は大胆な戦略転換を決断しました。その原動力となったのは広告代理店出身であり、作詞業を始めて僅か一年の新人・売野雅勇でした。

売野の回顧録『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』(朝日新聞出版)が2016年に出版され、大ヒット曲「少女A」の裏側が明らかになりました。

この本によると、明菜のデビュー当時のキャッチフレーズ「ちょっとHな美新人(ミルキー)っ娘」の「H」の部分が売野に刺激を与え、彼は「少女A」のエロチックな方針を決定したようです(実際には明菜ではなく、14歳の実在する美少女・シノハラヨウコがモデルとされています)。

しかし、タイトルが決まったものの、売野は内容についてアイデアが浮かびませんでした。そこで彼は以前に沢田研二のために書いたが没となった「ロリータ」という歌詞の設定を借りることにしました。

「ロリータ」はルキノ・ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』をベースにしており、老人アッシェンバッハが美少年に恋焦がれて悶死する役どころを、売野はジュリーに、そして美少年タッジオを美少女に変えた内容だったと言います。

「少女A」では、この視点を入れ替えて、たぶらかされる美少女の視点から世界観を描いています。 明菜のプロデュース陣の大胆な戦略転換により、「少女A」は成功を収めました。この曲を通じて、明菜はアーティストとして成長し、不良イメージの中にも繊細さを表現するようになりました。

最近では、中国の若い女性たちの間で明菜のメイクがブームとなっており、彼女の「易碎感」(儚さ)が注目されています。これにより、明菜の再ブームは若い世代から起こる可能性があるとされています。

売野・芹澤の黄金コンビが生み出した「少女A」の誕生秘話

中森明菜のヒット曲「少女A」は、最初に作られた曲がボツになり、次に指名された作曲者は芹澤廣明でした(その後、売野・芹澤のコンビはチェッカーズの一連のヒット曲を生み出すことになります)。芹澤の候補曲から選ばれた一つが、「少女A」として知られる楽曲です。

唸るギターイントロや優れたメロディーにも関わらず、曲のAメロが長すぎてサビが貧弱であり、フックも元々は「ねえあなた ねえあなた」というありふれたフレーズでした。売野はこのフックを印象的なものに変える必要がありました(元々の曲は「シャガールの絵」というタイトルで、あるマンガ家が作詞した歌詞が付属していました)。

売野は、阿木燿子が作詞した山口百恵の一連のツッパリ歌謡を参考にしました。「プレイバックPart2」など、女性が啖呵を切る捨て台詞が印象的な曲に着目し、「女性が啖呵を切り、捨て台詞を言うことが阿木作品の要となっている」と気づいた売野は、「じれったい じれったい」という伝説的なフックを作り出すことに成功しました。

しかしこの曲の特別さは、売野だけの功績ではありません。当時ワーナー・パイオニアのディレクターだった島田雄三は、売野が書いた歌詞の一番と二番を入れ替えるという大胆な決断を下しました。

その結果、「上目使いに盗んで見ている」という魅力的な歌い出しになりました。もし島田氏がこの英断をしなかったら、平凡な「頬杖ついてあなたを想えば」という歌い出しになっていたかもしれません。

また、作曲者の芹澤廣明の功績も忘れてはなりません。馬飼野元宏によれば、この曲は当時まだ音程が不安定だった明菜のヴォーカルに合わせるため、音域を狭く設定し、下降旋律で作曲されていました。このアプローチにより歌は安定し、中低域が強調された明菜の独特な歌唱スタイルが生まれ、他のアイドルとの差別化をもたらす結果となりました。

中低域のドッシリとした歌唱は、後に明菜のトレードマークとなりました。「少女A」がもたらした方針と言えるでしょう。

中国で再燃する中森明菜の「不良娘」イメージと「易碎感」ブーム

明菜の繊細さと若者の共感が生んだ中国での明菜ブーム

引用元:@maki_ryu0614

中森明菜は、「易碎感」とも呼ばれる繊細さを持つアーティストとして、中国で再び注目を集めています。彼女が最初に歌った「易碎感」によって、明菜はアイドルからアーティストへと覚醒していきました。

「易碎感」とは触れればすぐに壊れてしまいそうな繊細さやもの悲しい雰囲気のこと。

初めはこの歌を歌うことに抵抗がありましたが、彼女のパブリックな不良イメージと繊細さが融合し、摩擦を生み出すことで成長を遂げたのです。

売野が作詞した明菜の不良イメージを反映した楽曲は、ハードロック調の「1/2の神話」(1983年)や細野晴臣が作曲した都会的でモード感漂う「禁区」(1983年)、そして黒一色のゴスロリ・ファッションを取り入れた「十戒(1984)」などがあります。特に「十戒」は、先駆ける独自性を持っていました。

引用元 U-NEXT https://www.youtube.com/@unext_jp

しかしこの「不良娘」イメージの中に隠された明菜の繊細さは、意外なことに現代の若い中国女性たちによって見抜かれています。最近のネットニュースによると、美容系インフルエンサーの影響で、明菜のメイクが中国の若者たちの間でブームになっているとのことです。

「易碎感」というキーワードが注目されています。これは中国語で「儚さ」を意味し、触れるとすぐに壊れてしまいそうな繊細さやもの悲しい雰囲気を指します。英語では「フラジャイル」と表現されます。

明菜が長い間隠遁状態にあった中、彼女の本格的な再ブームは、意外なことに日本の外側、特に若い世代からやってくる可能性があるのかもしれません。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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